ドーピングはなぜ許されないのか?についてその本質を考える

様々なアスリートを指導する立場におられる、指導者や親御さんへ

ドーピングはなぜ許されないのか?について、思考のトレーニングとして考えてみたいです。
(ちなみにここでの「許されない」は、「絶対にやってはいけない」という意味で使っています)

もちろん、それは「ルールで決められているから」という答えが最初に来ることに異存ありません。

ですがそれでは、「ルールで決められて “いなければ” いいのか?」という問題が積み残しになります。

そこが残ったままだと、「これは禁止指定がされていないから大丈夫」というような抜け穴探しが始まり兼ねません。

抜け穴が目立つようになればそこが新たに追加指定され、するとまた次の抜け穴探しが始まる…いわゆるいたちごっこです。

私の場合、選手教育を行う立場ですので、どのように選手に対して「本質的な説明をするか?」という観点で考えてみました。

本質を考えさせる時間は、アスリートの思考力を高めるためにとても有効です。

1)
「ドーピングは、健康に有害なものや、長期に渡って見たときに健康に害がないことが証明されていない薬物を使う行為だから絶対に避けるべきなんだ。
仮に、アスリートであるきみにとって、それが許容できるリスクだったとしても、きみより若いアスリートへの影響を考えれば避けるべきだとわかるよね。」

・・・今や、ドーピングで禁止される薬物には健康に影響を与えないものまでが含まれています。
・・・薬物ではなく、静脈注射などの方法自体が禁止されるケースもあります。
・・・今後は、脳に電極をつけてそこから筋肉に対して電気信号を送ることで、理想的なフォームや姿勢を筋肉に記憶させるようなトレーニング方法が生まれて来るでしょう。これはドーピング指定されるのでしょうか?

2)
「薬が全てダメなわけではないんだよ。薬によっては許されているものもあるし、また禁止とされているものにも申告や使い方を守ることで使えるものもあるんだ。
何がダメかを考えてもキリがない。許されていることを理解して、その中で全力を尽くすことを考えるべきじゃないかな。」

・・・NGなことに目を向けさせるのではなく、できることに目を向けさせるというアプローチは、人材育成的には1)よりも良いのではないかと思います。
・・・その一方で、アスリートが期待する”勝利の対価”に対する抑止力としては、なんだか道徳論・机上論的に見えて、説得力が不足しているように感じてしまいます。

3)
「アスリートが公の場で競技を行うことの社会的な意味は、社会に対して夢や希望、前向きな気持ちの高ぶりや前進・成長への意欲を湧き立てることにあると思うんだ。
いわゆる、それが ”感動” っていうキーワードで表現されるものだと思う。
君たちが感動を提供することで、社会に対して価値を与えているとするならば、その感動が、実は人に言えないようなモノ・コトに支えられていたなんて、社会のみんなが知ったらとても落胆するのではないかな。」

・・・うーん、1)2)よりはしっくり来るのですが、それでもまだなにか足りません…

みなさんは、「ドーピングが許されない理由」をどう考えますか?
ぜひ、教え子の方々と一度話し合ってみてください。

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